東京回遊魚

人前で話すのが苦手だったのにテレビキャスターとなり、現在は企業研修と人材育成が本業に。当ブログでは、これまでに経験を積み重ねてきたスピーチやプレゼンテーションなど、「人前で話す」ための独自メソッドを公開&大好きな江戸文化の情報もあり^^

地方局適合不可、東京リクルーティングを開始したのです。

こんばんは。
私としては非常に珍しく、1日2回の投稿です。

実は、
今朝書いたものがロングバージョンになってしまったため、
ふたつに分けて投稿ということにいたしまして。

では、今朝の投稿の続きです。

札幌でのTV番組の収録にて、
新人メイン司会者だった私は、
ある日、
前フリのコメントが上手く話せなくなってしまいました。

テイクを重ねたものの、
ディレクターからの怒鳴り声と台本が飛んでくる始末。

現場の空気は凍りつきました。
息遣いの音さえ、全員が押し殺しているような状態です。

この時の私の気持ちは、

悔しい
むちゃ腹立つ
恥ずかしい
情けない


みんなに申し訳ない、
なんて思う余裕はありませんでした。


「5分だけ時間をください」
とお願いするのが精いっぱいでした。

その5分の間に気持ちを落ち着かせ、
前フリのコメントを繰り返し練習。

心臓が飛び出そうになっていた
ミスさっぽろの初講演任務の際に試した方法を思い出し、
「できる。できる。私はやりとおすことができる。できる…」と暗示をかけて、

3テイクへ臨みました。

かろうじて3テイクめはクリア。

褒められはしなかったものの、
無難にこなし、
番組収録の後りまでなんとか務めることができました。


しかし、この日の頭真っ白になった出来事、
そしてディレクターに「辞めちまえ」と言われたひとことで、
私は自分が抱えていた憂鬱の正体に気がつきました。

それは、
ボイストレーニングで得たはずのことが憂鬱の原因であったということです。

つまり、
先輩キャスターのAさんのイメージに近づくため、
Aさんのような声を出し、
トークのテンションもAさんのコピーのようにしていた自分にアレルギーを起こしていたのです。

もちろん、Aさんのせいではありません。
Aさんは才能豊かで人望も厚かった素晴らしいキャスターでした。

それでも、
自分ではないAさんにむりやりなろうとしていたことが、
過度なストレスとなっていたのです。

自分の本来の声を使わず、Aさんの声色を使い、
自分らしいトークがなんなのかわからないまま、
そっくりそのままAさんの話す速度やリアクション、
笑い方まで真似していたことで、
自分自身の個性を封じ込めてフタをしていたのです。


それが苦しくなってきたのです。
ならば自分らしくやればいいじゃないかと。

でも、自分らしい表現ってなんなん?
と、また悩むのが予測できるから自分らしさなんて考えまいとしていたのです。

褒められたAさんのコピー仕様の私を消してしまえば、
仕事を失うという恐怖感もありました。


後に気がつくのですが、
札幌に限らず、
地方の放送局はアナウンサーなど出演者の個性が似ています。

「この声、この話し方がアナウンサーだ」というひとつの大きなひな形が存在しているように感じます。

全国へ出張した際や、
札幌の実家で過ごす際も、
地元制作のテレビ番組をつけて、
あえて画面に背を向けて音声だけ聞いてみると、
出演者の声やテンションが皆似ていると感じます。

それが悪いということではなく、
ある意味個性の統一化は地方局にとっては必須であるといえます。

地方は東京に比べると保守性が高く、
それぞれの個性が尖ることをヨシとするよりも、
同一の文化で和む雰囲気を感じさせたほうが、
その地方の視聴者は安心して番組を視聴できます(=視聴率が高まる)。


地域に受け入れられる内容、
納得される個性と雰囲気によって、
安心感を感じてもらえることは、
各地の放送局に欠かせないことです。

だからこそ、各地の放送局には、
その土地ならではの個性がまとまっており、
地域性が強調された味のある番組こそが魅力的であり、
それが地方局の良さであると、今の私ならば理解できます。


しかし、頭真っ白になった当時の私は若くギラギラした生意気盛り。

札幌の放送界で自分の個性にフタを閉じたままで、
ずっと先輩のコピーをして仕事を続けていく自信はなくなりました。


どうしよう、どうする。

また現場で頭の中が真っ白になったらみんなに迷惑かける、
でもコピーは嫌だ、
「辞めちまえ!」って言われてその通りにするのも嫌だ。

悶々。


約1ヶ月後、自分に出した答えは次の通りでした。

「この仕事でもっと広いフィールドに出てみよう。
やるだけやってダメだったらあきらめよう」


こう決心した私は、
広いフィールド=東京だ!

という田舎もん思考むき出しで、
東京へのリクルーティングを開始しました。


東京キー局の社員である友人や、
アナウンサーが所属しているエージェント等、
いろんなところから情報をもらって、
書類選考が通ると自費で面接へ臨んでいました。

ほぼ毎月上京し、
お小遣いはすべて東京でのリクルーティング費用へ消えていきました。

約1年ほど経過した頃、
飛行機代まで出していただいて臨んだ某放送局のキャスター面接の最終試験に落選。
(この時に同じ面接テーブルにいた隣の女性は大物政治家になりました…)

東京での同業者と会うと劣等感に苛まれたり
(みんなとてもキレイで器用な人ばかりに見えまして)、
また、ちょうどこの頃に父が難病を発症したこともあって、
「東京では無理なんだな、私は」とほぼあきらめかけていました。

そんな矢先、
札幌の友人の上司が見るに見かねてか、
テレビ東京の海外情報番組を監修している人が月1で来札しているから、
一度会ってみたら?」とある方に推薦してくれました。

仕事と父の病気のこと、
諸々精神的に疲れていたこともあって、
最初はそれほど乗り気ではありませんでした。

でも、1度だけ会ってみようと思い、
札幌で面接を含む初顔合わせをしました。


それが、
まさか東京でのレギュラー番組をもてるきっかけとなるとは…。


人生は摩訶不思議―。

続きはまた次回に。