口から火を噴き…夢であったエジプトへ!
またまた「プロの声」のハナシからは脱線といいますか、
上京ストーリーみたいになっていますが、
「プロの声」についてはまたまた山あり谷ありバナシがあり、
ココ!というタイミングでちゃんとつなげますm(__)m。
さてさて、
前回投稿にある通り、
テレビ東京の某TV番組監修者との面談へ臨んだ私は、
意気消沈状態で連日寝不足でもあったため、
心身ともにベストコンディションではありませんでした。
期待もしていなく、
監修者?ほんまかいな~?という疑念もあり(失礼極まりない娘です)、
やる気満々というよりも、
応援してくれた紹介者の顔をたてようという気持ちで面談の席に着きました。
なので、自己紹介も即興で何を話したのか数分後には覚えてなく…。
おそらく淡々と話していたと思います。
(眠かったので…)
が、監修者の次の質問でようやく覚醒。
「もし、あなたが当番組でリポーターを担当いただくとしたら、
どの国に行ってみたいですか?
または、行く行かないに関わらず、好きな国はありますか?」
私は途端に上半身がぐぐっと前傾姿勢に。
私「はい。エジプトです!」
監修者「ほぉ、どうして?あなたの世代なら、
イタリアとかフランスとか言いだすと思いましたよ(笑」」
私「わ、わたしっ、小学生の頃にツタンカーメンの物語をテレビ番組で見まして、
その時にがっつーんときて!いやそのっ、あのっ、衝撃を受けたんです!」
監修者「ほぉ、それで???^^」
私「ツタンカーメンはっ、+%&$#&O*Q&%*+!
その謎の死は解明されていませんが、だからこそっ、+%&$#&O*~!」
監修者&他面接官「へ~、それは…」
私「それからっ!(面接官の問いをさえぎる)+%&$#&O*Q&!」
監修者&面接官「ふむ。うっ…、うんうん(^^;)」
私「だからエジプトです!
子供の頃からエジプト展が開催される度に、
親に連れて行ってもらいましたが、
ミイラばっかり観てましたのでっ、
ちゃんとエジプトへ行かねばならないと思うんです!!!」
監修者&面接官 (爆笑)
監修者「ミ、ミイラね…展示会だとそうですよね、あはは!
あ、そういえば、ウチの番組でエジプトはまだなんですよ」
私「はぁ」(言いたいこと言ったので落ち着いている)
監修者「今日の話、面白いです。
エジプトは視聴者の反響も高いと思いますし、
もし、エジプトロケが決まったら、あなたは行けますか?
札幌から東京へ住まいを移せますか?」
私「はい、行きます住みます(あっさり)」
監修者「わかりました。まずはエジプト編を作れるかどうか、
審議に1ヶ月ほどかかります。結果をお待ちください」
私「はい、よろしくお願いいたします(淡々)」
こうしてほぼ1時間くらいの面談が終了しました。
おそらく、その内40分くらいは、
エジプト情熱トークbyミカコ。
口から火を噴いていたにちがいありません。
帰り際、その番組の監修者は私へこう言いました。
「番組がどうなるかは運次第ですが、
あなたはご自分の個性を生かす地を選んだほうがいい。
今のままでは、たぶんあなたは一生後悔しますよ。
東京はあなたよりもツワモノばかりですが、
それでも、あなたは東京でやったほうがいい」
この言葉をいただいてから、
約1ヶ月は「ほんとぉ?あんなこといって詐欺だったりしてぇ」と半信半疑。
しかし、2ヶ月後に私はエジプトへ渡っていました。
その海外取材番組で北アフリカ~中近東バージョン編が決定し、
半年間契約ではありましたが、
エジプト・モロッコ・アルジェリア・トルコの担当リポーターに任命されました。
東京キー局(放送はテレビ東京からの全国ネット)でのレギュラー番組を得たということは、東京生活もスタートしなければならず。
1991年の春のことでした。
難病を患っていた父のこともあり、両親のことが気がかりでしたが、
「ずっとやりたかったんだから挑戦しなさい。
パパの病気は今は安定してるから大丈夫」
と父も母も背中を押してくれました。
当初2ヶ月は住む部屋も決まらないまま、
海外取材~東京~札幌を往復。
不思議なもので、この後1年は願うことが叶っていくという幸運が重なりました。
住む部屋を探す時間がないと嘆いていたら、
海外取材期間中に、
親友の叔父さんが都内に所有する賃貸住宅に
急遽空き部屋ができて住めることになったり、
海外でのスケジュールアクシデントのおかげで、
ずっと憧れていたスペインのバルセロナやパリで休日をとらせてもらったり。
スケジュールはハードでしたが、
仕事だからこそ行ける場所(怖いカスバとか)や、
現地の人達との交流がとてもエキサイティングで、
見聞き体験した全てのことが、
札幌の放送局にしがみついていたとしたら経験できないことでした。
私を採用してくださった監修者Mさんは、
10年前にご病気のために天国へ旅立たれていますが、
私は一生一生Mさんに感謝してもしきれません。
Mさんとのご縁がなければ、
東京での仕事はあきらめていたことでしょう。
よくぞ、
初対面の娘っこの、
口から火を噴くかのごとくマシンガントークに耐えていただき、
採用までしていただくなんて、今から思えばなんて勇気のある御方でしょう。
後になぜ私を採用したのかと聞いたところ、
「目だよ。見たことのないほどに光る目。
媚がないというか、動物っぽいというか。。
とにかくエジプトのことで
あんなに口から火を噴いて語る若いひとは他にいないよ^^;」
とのこと。
動物……(。。)。
◇夢を叶えたければ、口から火を噴きましょう―。(byハルカミカコ)
ということで、
めでたく東京デビューをし、
東京生活を始めた頃はモチベーションMAX!
トウキョウでは自分自身の個性を出していいんだ。
声も、トークも、感性も、
自分が感じた自分の言葉で伝えられるんだ。
ココは世界の情報を発信する東京なのだ!
と意気込んでました。
…のはずなのですが、
私は再び壁にぶち当たりました。
海外ロケでの初リポートの際、
ディレクターは私へ向かってこう言いました。
「どうしてそんな声だすの?」
東京へ戻ってのスタジオでのナレーションでは、
「ふつうの声出して。そんな化粧声は気持ち悪いよ」
き、き、き、き…
き、きっ、気持ち悪い???
また(TT)
化粧声???
なにソレ??
またもや私は、東京にて「声」のお直しトレーニングを開始しました。
東京でのアナウンストレーニングのコーチにも、
「なーんか、気持ち悪いわねっ。何、その癖、気持ち悪いっ」
と初回から指摘されました。
札幌と東京とでは、
各放送界で求められる「プロの声」が違ったのです。
ちなみに、その「化粧声」は、
アナウンサーやキャスターに限らず、
サービス業や仕事用の声を作ろうとする人も陥りやすい現象です。
無駄あって一利なし。
個性を殺し、かつ伝染しやすいものでもあります。
トレーニングを受ける方も要注意。
「化粧声」を覚えてしまったら、素の声に戻す時がしんどいです。
当時はショックでしたが、
一発目からガツンと指摘してくれたディレクターに今では大感謝してます。
さて、
「化粧声」とは―。
次回に続きます。