江戸ラボ④・江戸東京博物館へ!ダットサン、東京ラブストーリー…Vol.4
今年の東京のGWは晴天続きで気温は25度以上を記録。
暑がりの私は5分も歩けば汗じんわり。
いや、じんわりどころか、汗だく。
額と鼻につぶつぶの汗を浮かべながら、
今年も常に汗っぽい自分とのつきあいが始まるんだわぁとつぶやいております。
さて、本題へ。
今回は前回まで続投していた『江戸東京博物館』レポのファイナルです。
『江戸東京博物館』見学の後半は、
昭和時代以降のゾーンを案内されました。
昭和初期の住宅を復元し、当時の日本人の生活様式が展示されていました。
また、戦争による東京大空襲の被災資料も展示され、
焼け野原となった東京の様子も公開。
ガイドの中村さんが暮らしていた京橋も火に包まれてほぼ全焼。
「まわりの家もぜんぶ焼けちゃったよ。たくさんのひとが焼け死んだ」
こうさらりとおっしゃる中村さんでしたが、
きっと私の世代には想像もつかない辛さや悔しさ、
行き場のない怒りを抱えてこられたんだろうと思いました。
その後、日本は復興。
国民が知恵と力を合わせて日本を建て直していきました。
昭和30年代には高度経済成長期に入り、
国民は豊かな生活を営むようになっていきました。
団地建設が進み、
東京オリンピックが決定し開催…などなど。
また、その頃は便利で文明的な生活を象徴するものとして、
白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機といった家電が、
「三種の神器」といわれていました。
その三種の神器を設置した団地の室内もブース内に復元。
ほかにも昭和初期のタクシーや、
日産の大衆車ブランドとして長い歴史を持つ「ダットサン」も展示されていました。
「ダットサン」の周りには、
興味津々な表情の中高年男子が集まっていました。
念のため、中高生男子ではなく、中高年男子。
「おお、ダットサンだ」
「あっ、ダットサン!」
「なつかし~、ダットサン」
おとうさんたちの記憶に残っているキラキラとした思い出の車なのでしょうね^^
そしてそして、
ブースには昭和時代~平成にかけての変遷を紹介するギャラリーがあり、
そこではお客様が各世代の位置で立ち止まり、
「きゃー、懐かし!」「うわ!これよく見たぁ」と賑やかに反応。
観る人にとって一番キラキラしていた時代、
しんどかった時代を思い出させるには十分な展示物が並んでいて、
私もいちいち反応してました。
特に、1980年代後半のバブル時代から2000年頃までの展示品で「きゃぁきゃぁ」と。
「あの頃夢中で観ていた『東京ラブストーリー』のビデオがあるぅうぅう!」とか。
「カーンチ!」と叫ぶ鈴木保奈美さんの声と表情を今でもすぐに思い出せる(T▽T)。
ほらほら、テーマソングも頭の中でリピートされてしまいますわ。
♪君があんまりステキだぁから、ただ素直にスキといえなぁくて、
浮かんでは、消えていく、ありふれた言葉ぁだけっ♪
♪あの日あの時あの場所で君に会えなかぁったらぁ~、
ぼくぅらはいつまでもっ、見知らぬふたりのままっ♪
そして、なんといっても私が「ひゃぁぁ!」と反応したのが、
1990年代後半の創刊雑誌。
『東京ウォーカー』(角川)
『東京1週間』(講談社)
『VERY』(光文社)
私はニュースキャスターを辞めた後に、
出版広告界へ転職し、
ライター業を始めたのですが、
一番最初の雑誌の仕事が『東京1週間』でした。
約1年間、入館カードも発行いただき、
いろんなページを担当させていただきました。
最初の企画は確か「焼肉」特集だったかと…
これが予想以上にたいへんでたいへんで。
取材交渉、取材、執筆、校正、ひととおり全部やりましたが、
時間がとてもかかる作業です。
ましてや雑誌の企画は、
ひとつのテーマで何通りもの書き分けをするケースが多く、
例えば、焼肉ひとつテーマでも30店取材すると30通りの違う表現で書いていくのです。
そしてレイアウトが決まっているので文字数が限定されます。
書籍やWebのように、文字数のバッファをもたせることができないので。
決められた文字数にあてはめていくためにも、
ボキャブラリーをひねり出しては校正、
そして鬼の校閲とされていた出版社だったので、
校閲から戻ってくるとまたゼロから校正し直し、
なんてザラでした。
年収はキャスター時代の3分の一になり、
それでも仕事している労働時間はキャスター時代より多く。
徹夜あたりまえの日々。
体調も悪くなり、手術をしたり、
慢性のアレルギー疾患が悪化したりと。
仕事依頼は途切れませんでしたが、
カネなし、カラダ悪しで
いったい自分が何をやっているのかと思い悩んだ日々。
そんなこともあって、
書くことは好きでしたし、得意分野と自覚もありましたが、
食べさせてくれる人もいない独身独立暮らしの私には継続が難しくなってきました。
その後、
もう1社の出版社で女性誌の企画の依頼をいただき、
数年続けた後にサービス業種の一般企業へ転職をしました。
正確にいえば、
連載だけは残して担当雑誌が廃刊するまで副業として続けていたので、
片足のつま先だけは浸していたようなものですが。
とこのように、
好きであった「書く」仕事を手放したのは辛くもありましたが、
必死にやったことなのでその後の仕事にも生かせる場がありました。
後に担当した企業のWebサイトの企画では取材や原稿作りを楽しめましたし、
企業内で研修プロジェクトを行うことになったきっかけも、
教材をすぐに作れるスキルがあったからこそ即採用されました。
後に聞いた採用理由は、
「教材をゼロから作れますか?と聞いた時に、
大好物を目の前にしたような表情で、
「もっちろんです!^▽^」と嬉しそうだったので、
頼りになると思いました。
講師としてのトークが得意でも、
教材とか原稿となると「はい」といいつつ、
表情が曇る方が殆どでしたから 笑」。
表情は嘘をつけないものです。
ということで、
私の雑誌デビューの『東京1週間』に、
江戸東京博物館で再会するとは驚きでしたが、
当時のことを思い出せたのは、
自分に対しての啓示のようなものかなぁと感じました。
初心忘れべからず。
今年からブログを再開したのも、ゼロから「書く」を増やすこと。
一時期は諸々のしんどさや失望感もあり、
「書く」を捨てたいと思ったりもしましたが、
どうやら「書く」ことは自分の人生にとって切り離せないものなのかもしれません。
そういえば、
今回案内を快く引き受けてくださったガイドの中村さんも、
原稿をかなり書き溜めていらっしゃるので、
江戸から続く老舗の文化を紹介するサイト「東都のれん会」での連載ももたれています。
東都のれん会 ⇒ http://www.norenkai.net/
『大旦那のちょっといい話』というコーナーです。
中村さんの蓄積された知識と調査量が文章でまとめられ、
ユーモアもちょこっと乗っかったコラムです^^
私もこれから江戸ラボの投稿を増やすにあたり、
中村さんのコラムを始め、
この東都のれん会のサイトも参考にさせていただきつつ、
江戸ラボの記録を積み重ねていきます。
といいつつ、次回は「人前で話す…掟」カテゴリの続きを!
忘れ去られているだろう…と思っていたのですが、
検索でこのブログへたどり着いた方の中には、
「講演」や「人前で話す…」が多いようです。
こりゃ意外や意外。
となると続投モチベーションUP!
ではまた次回に^^
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